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からたく
長野県伊那市在住
長野県伊那市出身
不動産賃貸業、不動産投資家
移り変わり
長野県伊那市(18年)→東京都新宿区(1年)→茨城県つくば市(4年)
→兵庫県西宮市(3年)→大阪府大阪市北区(2年)→ナミビア共和国(1年)
→東京都八王子市(1年)→東京都調布市(6ヶ月)→長野県伊那市(現在)
引越
伊那市坂下(実家)→伊那市御園(実家)→新宿区北新宿(下宿)→つくば市平砂(寮)→つくば市一ノ矢(寮)
→つくば市パワーハイツ(アパート)→つくば市栗原(戸建シェア)→西宮市門戸厄神(寮)
→大阪市北区大淀北(新築賃貸マンション)→福島県二本松(訓練所)
→ナミビアGrootfontein(共同生活)→伊那市西春近(実家)→八王子市(1Rマンション)
→調布市(アパート)→伊那市御園(戸建賃貸)
2002年4月 通信会社入社
理系だったため、推薦で入社することができた。
就職担当の教授のおかげである。
2007年12月 通信会社退社
このまま、働いて何の価値があるのか分からなくなった。
ボランティアに申し込んだら、受かった。
2008年1月 ボランティアとしてアフリカへ
誰も働かない役場と言う生ぬるい空気が嫌となる。
何しにアフリカに来たのか分からなくなる。
2008年12月 日本に帰国
当初は、働くつもりで就職活動するが、企業の中途採用の仕方に疑問を感じる。
完全に、物としか見られていない。
2009年5月 勉強を始める
将来の方向性が、やっと見えてきた気がした。
自分が何をやりたいのか。
2010年6月 試験に不合格
ダメだった。
2010年8月 不動産屋にて働く
トップセールスマンになるべく、不動産屋で営業に励む。
昔なら働くのはお金を稼ぐためで、耐えなければならないと言う時代だったかも知れないが、今の時代は、そうではないのだと思う。
人生の限られた時間で、何ができるのか。
サラリーマンで一生を終えて良いのか。
何が楽しくて仕事をするのか。
やはり、楽しく仕事をしたいけど、自分の為になる仕事をしたい。
60歳になって、何も残らなかったら、ちょっと辛いと思う。
振り返ると波瀾万丈の人生だったと思う。
むしろ、そのように自分がコントロールしているのかも知れない。
楽しさを求めて。
大学受験、高校三年生の時、受験勉強せずに遊んでいた。
それにも係わらず、自分の実力も分からずに受験した。
どこも受からなかった。
もしかしたら、受かる大学もあったかも知れない。
でも、受けた大学は全部落ちた。
これも運命である。
1年間、勉強した。
ある意味、試練であった。
その結果、楽勝で受かった。
これも運命である。
野球がやりたくて、準硬式野球部に入った。
体育会だったが、週2回の練習だった。
物足りなかった。
もっと、打ち込める物を求めた。
野球をやめて、自転車競技をすることにした。
自分に合っていた。
毎朝、5時からの練習も苦にならなかった。
(たまに苦だったが…)
しかし、良いタイミングで、2度骨折をした。
あの骨折が無かったら、もっと強くなっていたと思う。
これも運命である。
就職活動、全然しなかった。
就職担当の教授の所に行って、企業を紹介してもらった。
実際、名の知れた会社であれば、どこでも良かった。
贅沢である。
面接は一回だった。
受かった。
実は、落ちていたみたいだ。
教授の所に連絡があり、教授が頭を下げてお願いしたみたいだ。
これも運命である。
会社に入り、我武者羅に働いた。
猛勉強した。
知識が付いた。
自信が出てきた。
しかし、営業に異動することになった。
これも運命である。
誰にも負けないように工夫した。
色々、考えて実行した。
自分でも、頑張ったと思う。
仕事が面白かった。
2度アメリカ旅行にも行けた。
これも運命である。
しかし、何か物足りなくなる。
このままで良いのか。
常に考えている事だ。
何事も改善が必要である。
将来に役に立つことを今しているか?
ボランティアで何か気づくかと思った。
応募したら、受かった。
アフリカに行く事になった。
これも運命である。
アフリカに行った。
ちょっと期待はずれだった。
でも、旅行だけでは、気づかないアフリカの一面を体験できた。
毎日が、充実しない日が続いた。
アフリカに居る意義が感じられなくなる。
二年間アフリカに居ることはできた。
ただ、それは自分の為にならないことは明白だった。
ボランティアは自己満足の世界だ。
結局、自分の為にしているのだ。
誰かに褒められる事でもない。
本来やるべき事でない事をして充実感を得るとしても自己満足だ。
自分を正当化して帰国しなくても良いと思った。
日本に帰ってきた。
これも運命である。
就職活動をした。
しかし、実際、自分が何をしたいのか答えは無かった。
ただ、働きたいと言う気持ちはあった。
時期が悪かったのか、就職難であった。
大企業のみ応募した。
全部落ちた。
これも運命である。
帰国して4ヶ月で、自分の向かうべき道のイメージが浮かんだ。
それに向かって突き進もうと思う。
これも運命である。
不動産の知識を得るために、国家資格である不動産鑑定士の資格取得目指して勉強した。
1年間、勉強したが神から見放される。
これも運命である。
仕事がしたくなり、不動産屋で働くことにした。
これも運命である。
父が病気で倒れて予定より早く実家に帰ることになった。
これも運命である。