〔回想〕サラリーマン記 14
回想サラリーマン記12話目、13話目の続き…。
少し重い話になってきていますが…、まだまだ続きます…。
それまで、色々とうまいこと切り抜けてきたが、今回ばかりは、どうにもならないなぁ、と感じた2006年の秋。
役員の逆鱗に触れた(?)がために、担当はずしが始まったのだった。
担当換えの指示は、のがれることはできたものの、次の指示は、一人で担当させるな、というものだった。
少し重い話になってきていますが…、まだまだ続きます…。
それまで、色々とうまいこと切り抜けてきたが、今回ばかりは、どうにもならないなぁ、と感じた2006年の秋。
役員の逆鱗に触れた(?)がために、担当はずしが始まったのだった。
担当換えの指示は、のがれることはできたものの、次の指示は、一人で担当させるな、というものだった。
建前上は、「関西で一番大きな会社なのだから、営業一人で担当させるな」と一見、普通の人が聞けばもっともらしい指示であった。
が、元々、関西にいてマーケットに詳しい人であれば、その内容が間違っていることはすぐに判断できる。
複数人が担当するということは、どういうことなのか…。
それだけの数字を、その会社から受注しなければならないのだ。
しかも、担当している限り、毎年。
それは、ありえないことだった。
トップでないトップダウンに似た指示により、上司は、(どういうことを意味するのか、わかっていたのかどうなのかわからないが)その指示を受け入れた。
典型的なサラリーマンである。
2006年の夏の初めに他の1社を奪われた私は、担当企業が1社になっていた。
さらに、その企業を複数人で担当するとは…。
それまで、案件も一人で充分に問題なく回すことができていた。
普通に考えても、ありえなく、もったいない話であった。
一人だったら、目標も達成する可能性があっても複数人では目標達成は難しくなる。
アメリカは遠くなるばかりである。
しかも、蓋を開けてビックリであった。
野球でいうエース級の営業が、一緒にやることになった。
しかも一人でない、二人、三人、私を入れて四人なのである。
結局、実働部隊は三人であったが…
これでは、会社的に他のビジネスチャンスをなくすことにも繋がりかねない。
いつしか、どのようにフェードアウトするか…、に私の考えは変わっていた。
誰にも迷惑を掛けないで、キレイに抜ける方法…。
潔く退くか…。
2006年秋の終わりには、お客さんと行ったゴルフ場のサウナの水風呂の中で泣いたコンペに敗れた案件もあり、2006年の冬の初めに、アフリカに行くことになったボランティアに申し込んだ。これもキレイに抜ける方法の1つだった。
そのコンペの敗因は他社の役員とお客さんの役員が仲が良かった、と言うのも、何か因縁であった。
結局、役員の訪問は何も意味を成さなく、重要なときには出る幕無しに終わってしまったのが現実であった。
その当時、4千人いる社員の中で、この事実、真実を知っている人は数人しかいないのだろう。
しかも、相談できる人も少なかった。
社内の人脈作りを、それまでしてこなかった。
その時、初めて社内の人脈作りは大事だと実感した。
2006年の冬、ストレスから背中に出来物ができた。
少しのことでは、あまり悩まない私ですが、その時ばかりは、色々と悩んだ。
今までやってきたことが全て否定された感じであった。
次回に続く…
〔回想〕サラリーマン記1
〔回想〕サラリーマン記2
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