〔回想〕サラリーマン記 2
前回の〔回想〕サリーマン記1に引き続き第2話目。
サラリーマン生活5年半のうち4年半は営業でした。
もし、営業になっていなかったら、アメリカにも行けなかっただろうし、270万円のボーナスももらえなかっただろう。
そう考えると、ある意味、転機だったのかも知れない。
営業2年目の時の成績で3年目(2005年)の7月にアメリカ旅行に行くことができました。
翌年は期待していませんでしたが、目標達成が評価されて、またまたアメリカに行くことができました。
(目標設定がおかしいので、目標達成しないのが普通なのです。)
そして、3年連続アメリカを目指したのです。
サラリーマン生活5年半のうち4年半は営業でした。
もし、営業になっていなかったら、アメリカにも行けなかっただろうし、270万円のボーナスももらえなかっただろう。
そう考えると、ある意味、転機だったのかも知れない。
営業2年目の時の成績で3年目(2005年)の7月にアメリカ旅行に行くことができました。
翌年は期待していませんでしたが、目標達成が評価されて、またまたアメリカに行くことができました。
(目標設定がおかしいので、目標達成しないのが普通なのです。)
そして、3年連続アメリカを目指したのです。
ある意味、このアメリカ旅行は、ステータスでありました。
社員3千人くらいのうち、旅行に行けるのは40人くらい。
目標になります。
3年連続アメリカに行くには、2006年度の成績如何で判断されます。
2006年6月にアメリカから帰ってきて、その時2年連続だったのは私だけで3年連続を心に誓いました。
そして頭の中では、ストーリーは出来上がっていました。
大きな案件が二つあり、どちらかを受注すれば行けると確信していたのです。
しかーーーーーーーーーーーーし、阻害要因が現れてしまったのです。
(今でも悔やまれます。)
私のストーリーを妨害する要因…。
それは、内部的阻害要因、外部的阻害要因がありました。
意味不明で理不尽な担当変更。
あきれて物が言えないとは、このことで、サラリーマンの宿命を味わいました。
これで、アメリカの確率が下がり…。
更に、社内での成績の取り合い…。
手がけていた案件に、意味不明の東京の部署から横やりが…。
おいおい、これもサラリーマンの宿命か…。
しかし、そこはヘコタレナイ。
案件に取り組むのみでした。
そして、案件のクロージング。
3社のコンペでした。
裏情報も抜けていて、コネクションもバッチリ、提案内容もバッチリ。
その前後では、お客さんとゴルフにも行きました。
3年連続アメリカが見えていました。
提案内容の評価も1位でした。
がーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
やられました。
今度は、外部的阻害要因…。
そこまで抑えていませんでした。
悔しさで何ともいえない状況に陥りました。
不覚とは、このことをいうのか。
政治的な圧力が掛かったのです。
これまたサラリーマンの宿命か…いや、そうでもないかな。
このことは、そのお客さんと一緒に行った奈良の山の奥のゴルフ場のゴルフが終った後の風呂の中で聞かされ、その後、水風呂にもぐって泣きました。
水風呂に3分くらいもぐっていたと思います。
これで3年連続アメリカの夢はたたれました。
その数日後、協力隊の募集要項を取り寄せたのでした。
(これがアメリカじゃなくてアフリカに行ったことと直接関係しているワケではありません。)
次回は、もう少し具体的な内容を書こうと思います。
社員3千人くらいのうち、旅行に行けるのは40人くらい。
目標になります。
3年連続アメリカに行くには、2006年度の成績如何で判断されます。
2006年6月にアメリカから帰ってきて、その時2年連続だったのは私だけで3年連続を心に誓いました。
そして頭の中では、ストーリーは出来上がっていました。
大きな案件が二つあり、どちらかを受注すれば行けると確信していたのです。
しかーーーーーーーーーーーーし、阻害要因が現れてしまったのです。
(今でも悔やまれます。)
私のストーリーを妨害する要因…。
それは、内部的阻害要因、外部的阻害要因がありました。
意味不明で理不尽な担当変更。
あきれて物が言えないとは、このことで、サラリーマンの宿命を味わいました。
これで、アメリカの確率が下がり…。
更に、社内での成績の取り合い…。
手がけていた案件に、意味不明の東京の部署から横やりが…。
おいおい、これもサラリーマンの宿命か…。
しかし、そこはヘコタレナイ。
案件に取り組むのみでした。
そして、案件のクロージング。
3社のコンペでした。
裏情報も抜けていて、コネクションもバッチリ、提案内容もバッチリ。
その前後では、お客さんとゴルフにも行きました。
3年連続アメリカが見えていました。
提案内容の評価も1位でした。
がーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
やられました。
今度は、外部的阻害要因…。
そこまで抑えていませんでした。
悔しさで何ともいえない状況に陥りました。
不覚とは、このことをいうのか。
政治的な圧力が掛かったのです。
これまたサラリーマンの宿命か…いや、そうでもないかな。
このことは、そのお客さんと一緒に行った奈良の山の奥のゴルフ場のゴルフが終った後の風呂の中で聞かされ、その後、水風呂にもぐって泣きました。
水風呂に3分くらいもぐっていたと思います。
これで3年連続アメリカの夢はたたれました。
その数日後、協力隊の募集要項を取り寄せたのでした。
(これがアメリカじゃなくてアフリカに行ったことと直接関係しているワケではありません。)
次回は、もう少し具体的な内容を書こうと思います。
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