からたくブログ

大学卒業後、大阪で5年半サラリーマン(通信業)をした後にアフリカ(ナミビア)で1年間ボランティアをしました。2008年12月に日本に帰ってきたら、(希望する)就職先が無く、2009年5月から1年間、難関資格(?)と言われている「不動産鑑定士」の資格取得(2010年度合格)を目指しながら不動産についての知識を取得し、資格には残念ながら縁がなく、その後、不動産業界に携わるために2010年8月中旬から約10ヶ月間調布市の不動産屋で働きノウハウを得て、現在は、長野県伊那市にて不動産業(自営業)に携わっています。
不動産投資家になるべく、(いちおう)東京都内(八王子市)に区分所有の築18年(購入時)のワンルームの激安マンション(駅から徒歩13分)を現金で2009年5月に購入、2009年7月に競売で長野県伊那市に戸建のボロ物件を購入。現在、両物件を賃貸中。今後、拡大を視野に入れながら、家業ともども邁進していきたいと思っています。

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〔回想〕サラリーマン記 3

〔回想〕サラリーマン記1〔回想〕サラリーマン記2に引き続き3話目。

2003年4月、社会人2年目に営業に異動し、営業1年目になりました。

営業に異動して感じたことは、個々が個人商店みたいな感じでした。
(それは会社によって全然、違うのかも知れません。)

それぞれノウハウの共有もないし、営業スタイルもマチマチ。

もともと電話サービスを売っていた会社だから、戦略とかなくても安ければ売れるって言うのがあったのかもしれない。
(ちょっと言いすぎですが…)


私にとっては、それが良かった。
なぜならば、好きなようにすることができたからです。

営業1年目の頃、当時は設備投資の凍結で競合他社と比べてひいでたサービスは特になく、業界3位の会社としては、本当に営業の真価が問われる状況でした。



一番心がけたことは、ライバルは社内にいるのではない。

競合他社の営業がライバルなのだ、と言うことでした。

これは、営業を始めて数ヶ月経ち、アタックや飛び込み営業をしていて気づきました。

その時から、ライバルに勝つには、ライバルの3倍働かないといけないと心に誓ったのです。
(業界3位の会社だから、当然ですね。)


私の営業スタイルは、基本に忠実に、でした。
当たり前のことを当たり前にするということです。
これは、続けるのが意外と難しいのです。
(具体的には、長くなるので別の機会に書きます。)

そして、効率性を追究しました。
(これも、また別の機会に書きます。)



ただ、営業1年目は、何件か受注はしましたが、給料並の仕事をしていなく、後ろめたさがありました。
自分の給料以上の利益を獲得しないといけないのだ、売り上げじゃなくて利益なのだ、と言うことを、ずっと意識していました。



そして、ついにチャンスが訪れたのです…。
続きは次回へ。
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